2011年05月01日
昨日は何時間「幸せ」でしたか?
いよいよ新緑の5月に入ったということで、、、
以前書いた、まきの的「幸福論」 をもう一度見直してみました。
2011.05.01 sun 07:22
From : Taichi Makino
藤枝の自宅officeにて、、、
◆ふわふわ?キラキラ??ほんわか???
以前、「不安」について書きました。
今回は、さらに、『幸せ』 について書いていこうと思います。
そーは言っても、「まきの的」 という前置きがあるがゆえ・・・
ご期待の「ほんわか」「ふわふわ」のお話には絶対ならない
わけで、、、
そーゆー感じのを期待している人は、完全に期待はずれだと
思います。
毎度すいません。
とは言いつつも、、、
「ほんわか」「ふわふわ」「キラキラ」しないにもかかわらず
結論的には、「生まれてきただけで奇跡なんです!」的な
話になっているところが元教師というか・・・
でもまあ、人によっては、なかなか興味深いところでしょう。
「おぉ~、そーゆーの興味あるぜよ!!」
という場合は、
例によって文章がそこそこ長いので、休日にはピッタリ!!
どうぞ、ごゆっくりとお楽しみくださいませ。

◆永遠で「一瞬」のHAPPY
誰もが口にして、なかなか簡単そうで、実は難しいのが
この「幸せ」というやつではないでしょうか。
今が「幸せ」なの?
そう言われてみればそうかもしれない、でも不満もあるし・・・
まあ、不満はあるけど、まあそれなりに満足しているから
幸せな気もするし、、、
考え始めると、うまく判断ができない感じになっていくのが
この「幸せ」というやつだと思います。
4月から習慣となったジョギングをしていると、なぜか突然
こんなことを考えてしまう自分がいます。
なぜ、ジョギング中なのかは、全くわかりません。
ふと、「毎朝ジョギングしている俺って、幸せなんだろうか?」
みたいなことを考えてしまうんですね。
「キモい・・・」 と言われれば、多分キモいですね(笑)。
◆経済学からみた「幸せ」
少し考えを深めてみましょう、、、
「少年よ大志を抱け・・・」のクラーク博士ではなく、、、
経済学者のクラークという教授が、彼の著書で、こんなことを
言っています。

「どんな社会でも、金持ちは貧乏人より幸福である
しかし、イースターリンが1947年に初めて論じたように、、、
1950年以降の経済先進国では、国民全体の所得の急増は
幸福度の上昇につながっていない
例えば、
日本では1958~2004年にかけて、人口一人当たりの所得は
およそ7倍に増えたが、、、
国民が感じている幸福度は、、上昇するどころか、むしろ若干
低下している
人間の幸福度が、自分の生活の絶対的水準ではなく、他の
基準的な集団と比較した「相対的水準」によって決まっている
のは明らかだ
所得が増え、
大きな家を買い、
高級な車に乗れるようになれば、、
一人一人はもっと幸せを感じるだろうが、それは、、、
所得が自分より少なく、みすぼらしい家や車しか手に入らない
人がいればこその幸福感なのである
お金で幸せを買うことはたしかにできるが、その幸福はほかの
誰かから移転されたものであり、集団全員がより幸せになった
わけではないのだ 」
(『10万年の世界経済史』より抜粋)
◆他人の不幸があっての幸せ?
「意外だな」 と思ったかもしれません、、、
そう思ったかもですが、経済本にもかかわらず、「幸せ」ということ
に関して、かなり本質を突いて語っています。
ただ、私はここで、「物質的には豊かになったが心は貧しくなった」
みたいな、どーでもいいこと (=話すに値しないこと) を わざわざ
お話したいわけではありません。
注目したいのは、、、
「人間の幸福度が、自分の生活の絶対的水準ではなく
他の基準的な集団と比較した【相対的水準】によって
決まっているのは明らかだ」
という部分なんです。
ここを、サラっと読み飛ばしていないでしょうか?
ここを見逃すと、最後の段落の
「その幸福はほかの誰かから移転されたものであり~」
というところを、誤解します。
わかりにくいのなら、簡単に言いますね。
つまり、クラークさんは
「人は、自分1人で幸せを決める(感じる)ことができなくなった」
という、ある意味、ショッキングな指摘をしていると思うのです。
もっと乱暴に言ってしまえば、、、
現代人が感じることのできる幸福とは
他人と比較した上でのものでしかない
つまり、広い意味で
他者に対する優越感でしかない
と・・・
さらに言い換えれば
自分の中から湧きでる感性・・・
何かに感動し、「幸せだなぁ~」と感じる心・・・
といったものを失い、常に周りをチラチラ見ながら 「それっぽい」
判断をするしかなくなってしまった、、、
と、まあ、このように指摘しているのです。
これが現代の 「幸せ」 の事実だとするならば、このこと自体が
私には、「不幸」であるように思われます。
例えば、東北の大震災や原発事故を報道で見ながら、
「自分の街でなくてよかった、、被災者の人たちと比べれば
幸せだよな、私たちって・・・」
という人が、ほとんどではなかったかと思います。
とは言え、誤解のないように言っておきますが、、、
そもそも 「まきの」自身も、正直な気持ちは上記のような感情に
なっていましたし、
「オレだけは完全に自律した人間なんだぜ」 とか・・・
そういった、非現実的な人間像を出したいわけではありません。
◆豚を救ったリンカーン
エイブラハム・リンカーン (第16代米大統領) に関するお話で
ちょっと面白いエピソードがあるんで紹介します。

リンカーンは雨の降る晩、友人と馬車に乗っていました。
リンカーンは友人に
「人間は絶えず、自身の幸福の最大化のために行動する」
という「行動の効用最大化理論」を信じていると話をしたそうな。
で、その2人を乗せた馬車が、橋を渡った時、川岸の沼地に
一頭の豚がはまり込んでいるのを発見。
馬車の運転手 (?) に停車を命じたリンカーンは、
雨のなか、沼地から豚を救出し、安全なところに運びました。
泥だらけになったリンカーンが馬車に戻ると、、、
その友人は、リンカーンに向かって
「厄介なことに身をおいて豚を助けることは
さっきの理論を否定しているのではないか!?」
と、するどい指摘。
「いや、全然そうではない!!」
と、リンカーン。
で、
「私のしたことは、完全に先ほどの理論に沿ったものだ
もし、私があの豚を救わなければ、私自身が嫌な気分を
味わったことになったからだ」
と、強調したというのです・・・
◆自分の欠点を人と一緒に笑えるなら
きっとそれは、その人の長所です
金八先生ではないですが・・・
「人と人の間が人間なんだ」って、本当に思っています。

今さらですが、、、
「ヒト」と「人間」の差は、そこにある!!
と言うことで、一応そよーな思考の原点は腑に落ちています。
だから、クラークさんやリンカーンさんが言っているように
「幸せってのはさあ、自分1人で決めるものなんだぜ
」
なんて、鼻を尖らせたことも私は考えてはいません。
考えてはいませんが、それと同時に・・・
「完全に誰かに決めてもらいましょ
」
とゆーようなものでもないと思っています。
さっきも言ったように、大切なのは「間」だと思うんですね。
結局は、、、
「自分と他者の間」が大切で、つまり「自分」も「他者」も
しっかりあることが大事で、≪幸せ≫というものを考える
際にも、そこが重要になるのではないかなぁ
と言いたいわけです。
「自分の価値観は持っている、でも他者との関係も重視する」
このような姿勢があってこそ、「幸せ」って言う ふわふわ したモノは
定義付けられるべきではないだろうか、、、
と思うわけですね。
PS
他人と比べなくても「幸せ」になる方法があります。
それは、自分で自分に取り込んだ「考え&スキル」で稼ぐことです。
コピーライティングができると、1億人の人間にメッセージを伝えられ
そのメッセージは、やがてお金に変わります。
特に、女性がメッセージを発すると、日本が変わると思います。
なぜなら、メッセージを伝えられる女性は豊かで「美しい」からです。
そのような女性が増えると、男性はもっとイキイキしてくるはずです。
学校じゃ教えてくれなかったけど、あなたが知りたいこと、ホントは
もっと知りたかった言葉の遣い方を、セミナーにしてみました。
PS
≪売れるコピーライティングの「難しい」を簡単にするセミナー≫

日時 : 2011.05.27 (金)
10:00~17:00 (含昼食休憩1h)
会場 : facilite (ファシリテ)
静岡市駿河区森下町1-16
東進ハイスクール西側にあるビルの1F
定員 : 5名 (残り3 2席)
料金 : 一般 36,000円 (オリジナルテキスト・無料メール相談付き)
め組 18,000円 (オリジナルテキスト・無料メール相談付き)
会員 0円 (ライティングサービス付き)
お申し込み→ コピーライティングセミナーお申し込み
お申し込みをされると、詳細をメールで返信いたします。
※コンサル会員様からの募集はGW明けからです。
ですので、お早めに・・・
以前書いた、まきの的「幸福論」 をもう一度見直してみました。
2011.05.01 sun 07:22
From : Taichi Makino
藤枝の自宅officeにて、、、
◆ふわふわ?キラキラ??ほんわか???
以前、「不安」について書きました。
今回は、さらに、『幸せ』 について書いていこうと思います。
そーは言っても、「まきの的」 という前置きがあるがゆえ・・・
ご期待の「ほんわか」「ふわふわ」のお話には絶対ならない
わけで、、、
そーゆー感じのを期待している人は、完全に期待はずれだと
思います。
毎度すいません。
とは言いつつも、、、
「ほんわか」「ふわふわ」「キラキラ」しないにもかかわらず
結論的には、「生まれてきただけで奇跡なんです!」的な
話になっているところが元教師というか・・・
でもまあ、人によっては、なかなか興味深いところでしょう。
「おぉ~、そーゆーの興味あるぜよ!!」
という場合は、
例によって文章がそこそこ長いので、休日にはピッタリ!!
どうぞ、ごゆっくりとお楽しみくださいませ。

◆永遠で「一瞬」のHAPPY
誰もが口にして、なかなか簡単そうで、実は難しいのが
この「幸せ」というやつではないでしょうか。
今が「幸せ」なの?
そう言われてみればそうかもしれない、でも不満もあるし・・・
まあ、不満はあるけど、まあそれなりに満足しているから
幸せな気もするし、、、
考え始めると、うまく判断ができない感じになっていくのが
この「幸せ」というやつだと思います。
4月から習慣となったジョギングをしていると、なぜか突然
こんなことを考えてしまう自分がいます。
なぜ、ジョギング中なのかは、全くわかりません。
ふと、「毎朝ジョギングしている俺って、幸せなんだろうか?」
みたいなことを考えてしまうんですね。
「キモい・・・」 と言われれば、多分キモいですね(笑)。
◆経済学からみた「幸せ」
少し考えを深めてみましょう、、、
「少年よ大志を抱け・・・」のクラーク博士ではなく、、、
経済学者のクラークという教授が、彼の著書で、こんなことを
言っています。

「どんな社会でも、金持ちは貧乏人より幸福である
しかし、イースターリンが1947年に初めて論じたように、、、
1950年以降の経済先進国では、国民全体の所得の急増は
幸福度の上昇につながっていない
例えば、
日本では1958~2004年にかけて、人口一人当たりの所得は
およそ7倍に増えたが、、、
国民が感じている幸福度は、、上昇するどころか、むしろ若干
低下している
人間の幸福度が、自分の生活の絶対的水準ではなく、他の
基準的な集団と比較した「相対的水準」によって決まっている
のは明らかだ
所得が増え、
大きな家を買い、
高級な車に乗れるようになれば、、
一人一人はもっと幸せを感じるだろうが、それは、、、
所得が自分より少なく、みすぼらしい家や車しか手に入らない
人がいればこその幸福感なのである
お金で幸せを買うことはたしかにできるが、その幸福はほかの
誰かから移転されたものであり、集団全員がより幸せになった
わけではないのだ 」
(『10万年の世界経済史』より抜粋)
◆他人の不幸があっての幸せ?
「意外だな」 と思ったかもしれません、、、
そう思ったかもですが、経済本にもかかわらず、「幸せ」ということ
に関して、かなり本質を突いて語っています。
ただ、私はここで、「物質的には豊かになったが心は貧しくなった」
みたいな、どーでもいいこと (=話すに値しないこと) を わざわざ
お話したいわけではありません。
注目したいのは、、、
「人間の幸福度が、自分の生活の絶対的水準ではなく
他の基準的な集団と比較した【相対的水準】によって
決まっているのは明らかだ」
という部分なんです。
ここを、サラっと読み飛ばしていないでしょうか?
ここを見逃すと、最後の段落の
「その幸福はほかの誰かから移転されたものであり~」
というところを、誤解します。
わかりにくいのなら、簡単に言いますね。
つまり、クラークさんは
「人は、自分1人で幸せを決める(感じる)ことができなくなった」
という、ある意味、ショッキングな指摘をしていると思うのです。
もっと乱暴に言ってしまえば、、、
現代人が感じることのできる幸福とは
他人と比較した上でのものでしかない
つまり、広い意味で
他者に対する優越感でしかない
と・・・
さらに言い換えれば
自分の中から湧きでる感性・・・
何かに感動し、「幸せだなぁ~」と感じる心・・・
といったものを失い、常に周りをチラチラ見ながら 「それっぽい」
判断をするしかなくなってしまった、、、
と、まあ、このように指摘しているのです。
これが現代の 「幸せ」 の事実だとするならば、このこと自体が
私には、「不幸」であるように思われます。
例えば、東北の大震災や原発事故を報道で見ながら、
「自分の街でなくてよかった、、被災者の人たちと比べれば
幸せだよな、私たちって・・・」
という人が、ほとんどではなかったかと思います。
とは言え、誤解のないように言っておきますが、、、
そもそも 「まきの」自身も、正直な気持ちは上記のような感情に
なっていましたし、
「オレだけは完全に自律した人間なんだぜ」 とか・・・
そういった、非現実的な人間像を出したいわけではありません。
◆豚を救ったリンカーン
エイブラハム・リンカーン (第16代米大統領) に関するお話で
ちょっと面白いエピソードがあるんで紹介します。

リンカーンは雨の降る晩、友人と馬車に乗っていました。
リンカーンは友人に
「人間は絶えず、自身の幸福の最大化のために行動する」
という「行動の効用最大化理論」を信じていると話をしたそうな。
で、その2人を乗せた馬車が、橋を渡った時、川岸の沼地に
一頭の豚がはまり込んでいるのを発見。
馬車の運転手 (?) に停車を命じたリンカーンは、
雨のなか、沼地から豚を救出し、安全なところに運びました。
泥だらけになったリンカーンが馬車に戻ると、、、
その友人は、リンカーンに向かって
「厄介なことに身をおいて豚を助けることは
さっきの理論を否定しているのではないか!?」
と、するどい指摘。
「いや、全然そうではない!!」
と、リンカーン。
で、
「私のしたことは、完全に先ほどの理論に沿ったものだ
もし、私があの豚を救わなければ、私自身が嫌な気分を
味わったことになったからだ」
と、強調したというのです・・・
◆自分の欠点を人と一緒に笑えるなら
きっとそれは、その人の長所です
金八先生ではないですが・・・
「人と人の間が人間なんだ」って、本当に思っています。

今さらですが、、、
「ヒト」と「人間」の差は、そこにある!!
と言うことで、一応そよーな思考の原点は腑に落ちています。
だから、クラークさんやリンカーンさんが言っているように
「幸せってのはさあ、自分1人で決めるものなんだぜ

なんて、鼻を尖らせたことも私は考えてはいません。
考えてはいませんが、それと同時に・・・
「完全に誰かに決めてもらいましょ

とゆーようなものでもないと思っています。
さっきも言ったように、大切なのは「間」だと思うんですね。
結局は、、、
「自分と他者の間」が大切で、つまり「自分」も「他者」も
しっかりあることが大事で、≪幸せ≫というものを考える
際にも、そこが重要になるのではないかなぁ

と言いたいわけです。
「自分の価値観は持っている、でも他者との関係も重視する」
このような姿勢があってこそ、「幸せ」って言う ふわふわ したモノは
定義付けられるべきではないだろうか、、、
と思うわけですね。
PS
他人と比べなくても「幸せ」になる方法があります。
それは、自分で自分に取り込んだ「考え&スキル」で稼ぐことです。
コピーライティングができると、1億人の人間にメッセージを伝えられ
そのメッセージは、やがてお金に変わります。
特に、女性がメッセージを発すると、日本が変わると思います。
なぜなら、メッセージを伝えられる女性は豊かで「美しい」からです。
そのような女性が増えると、男性はもっとイキイキしてくるはずです。
学校じゃ教えてくれなかったけど、あなたが知りたいこと、ホントは
もっと知りたかった言葉の遣い方を、セミナーにしてみました。
PS
≪売れるコピーライティングの「難しい」を簡単にするセミナー≫

日時 : 2011.05.27 (金)
10:00~17:00 (含昼食休憩1h)
会場 : facilite (ファシリテ)
静岡市駿河区森下町1-16
東進ハイスクール西側にあるビルの1F
定員 : 5名 (残り
料金 : 一般 36,000円 (オリジナルテキスト・無料メール相談付き)
め組 18,000円 (オリジナルテキスト・無料メール相談付き)
会員 0円 (ライティングサービス付き)
お申し込み→ コピーライティングセミナーお申し込み
お申し込みをされると、詳細をメールで返信いたします。
※コンサル会員様からの募集はGW明けからです。
ですので、お早めに・・・
Posted by Evolution Mind at 07:25│Comments(0)
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