2011年09月30日
嘘つきの理由
初めにハッキリ言っておくが、私は"嘘つき"だ。
自分の今までの人生で、何千、何万の嘘をついて
きた自信がある。
2011.09.30 fri 12:54
From : Taichi Makino
藤枝の新officeにて、、、
◆嘘はつらいのに・・・
冒頭で言ったことは、何ら大げさなことではない。
思い出すと、幼稚園のころから嘘をついていたような
記憶がうっすらとある。
小学生のころになると、明らかに嘘をしっかりとついて
いた記憶がある。
もちろん、嘘ばかりをついているわけではない。
もしそうだとしたら、多分だが、私は生きてはいないと
予想ができる。
なぜなら、辛いからだ。
辛すぎる・・・、嘘だけで成り立っている人生なんて・・・
だけど、その辛くなるような嘘をつき続けてしまうなんて
いったいどんな理由がそこにあるのかを考えてみた。
◆嘘つきになった理由
自分を守ろうとしてついた嘘がほとんどだった。
忘れ物の常習犯だった小学生時代。私は、忘れ物への
言い訳の天才だった。
感じの書き取りを忘れると、「昨日は親戚のおばさんが
入院して・・・」「学校にノートを忘れていってしまい気づい
たのが夜で・・・」などなど。
それはそれは、咄嗟(とっさ)であっても頭は働いた。
要は、「自分が悪いから」ということを絶対に認めたくない
という気持ちの現われからだったと思う。
ようは、メンツだ。
メンツを傷つけられたくなかったのだ。
プライドともいうが、カッコ悪い目にはあいたくないという
自己防衛本能が働くのだろう。
◆嘘を嘘にしたい!?
誰かに責められそうになると嘘をついた。
その後、決まって行うことがこれだ、、、
自分の嘘をチャラにするために、その嘘の演出をしていく。
嘘に真実味を持たせるための嘘をついたり、嘘をごまかす
嘘をついていくのだ。
考えただけでも疲れる作業なのだが、嘘つき少年の心の中
なんてこんなもので、このアホみたいな作業のくり返しにより
人知れずストレスを溜めていく。

いったい、私がそうしてきた理由って・・・
いったい、なぜなんだ??
◆他人のメガネ
視力が2.0クラスの人は、メガネなんてかけたことはないと
思うが、私はあいにく中学1年から近眼になってしまった。
メガネ生活を強いられた。
そうなってみて初めて気づいたのだが、近眼の同級生って
案外多かった。
普段はかけていなくても、授業中などにかけていたりする。
すると、レンズの厚さにも注意がいくようになった。
当時、牛乳はほとんどビンだったので、それに酷似してい
るレンズを見ると、笑うどころか心が切なくなった・・・
あるとき、家にメガネを忘れてきてしまい、何の授業だった
かは忘れたが、友達にメガネを貸してくれと頼んだ。
ものの3分もしないうちに、気持ちが悪くなってくる。
視力がだいたい同じくらいの女子に、「メガネ貸してよ」と
頼んでみたのだが、やはりダメだった。
視力は同じくらいなのに、頭が痛くなってくる。
なぜなのか・・・
よく考えると、こんなことをくり返していたのが自分の人生
なんだってことに気が付いてしまった。
◆誰の人生?
何に気づいたのかというと、、、
自分は、他人のメガネを無理やりかけさせられている場面
ばかりの人生だったということだ。
父親というメガネ、母親というメガネ、先生や、他の大人達
のメガネ、友達のメガネ、、、
多くの人は、自分のメガネで世の中を見る前に、人のメガネを
使ってしまい気持ち悪くなったり、頭が痛くなってきたのでは・・・
と感じる。
実際、「嘘をつく」、という「自己防衛本能」は、他人のレンズ
から、自分というオリジナルな価値を守ろうとしている行為で
はないだろうか?
レンズを貸してあげている方は、罪の意識はない。
それどころか、、、
「貸してやってるんだから、その通りに物事を見ろ!! 」的に
潜在意識で威圧しているんだよね。
さらに、「お前のためだよ」という、子供にとって最悪な呪文を
大人は、悪気などなく多用するのである。
親、先生、その他の人。気がつかないうちに、その人たちの
レンズで一生懸命に、物事や出来事や世の中を見ようとして
いた自分。
「誰の人生を生きてんだよ・・・」
こうつぶやいたのは、小学生の私ではなく、40歳を越して
何年かした私だった。
自分の今までの人生で、何千、何万の嘘をついて
きた自信がある。
2011.09.30 fri 12:54
From : Taichi Makino
藤枝の新officeにて、、、
◆嘘はつらいのに・・・
冒頭で言ったことは、何ら大げさなことではない。
思い出すと、幼稚園のころから嘘をついていたような
記憶がうっすらとある。
小学生のころになると、明らかに嘘をしっかりとついて
いた記憶がある。
もちろん、嘘ばかりをついているわけではない。
もしそうだとしたら、多分だが、私は生きてはいないと
予想ができる。
なぜなら、辛いからだ。
辛すぎる・・・、嘘だけで成り立っている人生なんて・・・
だけど、その辛くなるような嘘をつき続けてしまうなんて
いったいどんな理由がそこにあるのかを考えてみた。
◆嘘つきになった理由
自分を守ろうとしてついた嘘がほとんどだった。
忘れ物の常習犯だった小学生時代。私は、忘れ物への
言い訳の天才だった。
感じの書き取りを忘れると、「昨日は親戚のおばさんが
入院して・・・」「学校にノートを忘れていってしまい気づい
たのが夜で・・・」などなど。
それはそれは、咄嗟(とっさ)であっても頭は働いた。
要は、「自分が悪いから」ということを絶対に認めたくない
という気持ちの現われからだったと思う。
ようは、メンツだ。
メンツを傷つけられたくなかったのだ。
プライドともいうが、カッコ悪い目にはあいたくないという
自己防衛本能が働くのだろう。
◆嘘を嘘にしたい!?
誰かに責められそうになると嘘をついた。
その後、決まって行うことがこれだ、、、
自分の嘘をチャラにするために、その嘘の演出をしていく。
嘘に真実味を持たせるための嘘をついたり、嘘をごまかす
嘘をついていくのだ。
考えただけでも疲れる作業なのだが、嘘つき少年の心の中
なんてこんなもので、このアホみたいな作業のくり返しにより
人知れずストレスを溜めていく。

いったい、私がそうしてきた理由って・・・
いったい、なぜなんだ??
◆他人のメガネ
視力が2.0クラスの人は、メガネなんてかけたことはないと
思うが、私はあいにく中学1年から近眼になってしまった。
メガネ生活を強いられた。
そうなってみて初めて気づいたのだが、近眼の同級生って
案外多かった。
普段はかけていなくても、授業中などにかけていたりする。
すると、レンズの厚さにも注意がいくようになった。
当時、牛乳はほとんどビンだったので、それに酷似してい
るレンズを見ると、笑うどころか心が切なくなった・・・
あるとき、家にメガネを忘れてきてしまい、何の授業だった
かは忘れたが、友達にメガネを貸してくれと頼んだ。
ものの3分もしないうちに、気持ちが悪くなってくる。
視力がだいたい同じくらいの女子に、「メガネ貸してよ」と
頼んでみたのだが、やはりダメだった。
視力は同じくらいなのに、頭が痛くなってくる。
なぜなのか・・・
よく考えると、こんなことをくり返していたのが自分の人生
なんだってことに気が付いてしまった。
◆誰の人生?
何に気づいたのかというと、、、
自分は、他人のメガネを無理やりかけさせられている場面
ばかりの人生だったということだ。
父親というメガネ、母親というメガネ、先生や、他の大人達
のメガネ、友達のメガネ、、、
多くの人は、自分のメガネで世の中を見る前に、人のメガネを
使ってしまい気持ち悪くなったり、頭が痛くなってきたのでは・・・
と感じる。
実際、「嘘をつく」、という「自己防衛本能」は、他人のレンズ
から、自分というオリジナルな価値を守ろうとしている行為で
はないだろうか?
レンズを貸してあげている方は、罪の意識はない。
それどころか、、、
「貸してやってるんだから、その通りに物事を見ろ!! 」的に
潜在意識で威圧しているんだよね。
さらに、「お前のためだよ」という、子供にとって最悪な呪文を
大人は、悪気などなく多用するのである。
親、先生、その他の人。気がつかないうちに、その人たちの
レンズで一生懸命に、物事や出来事や世の中を見ようとして
いた自分。
「誰の人生を生きてんだよ・・・」
こうつぶやいたのは、小学生の私ではなく、40歳を越して
何年かした私だった。
Posted by Evolution Mind at 13:36│Comments(0)
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