2011年10月08日
大げさな奴
昼すぎのメロドラマを見たことがある人はわかると思うが
どんなドラマにも共通する要素ってものがある。
2011.10.08 sat 16:28
From : Taichi Makino
藤枝のofficeにて
◆次々に訪れる・・・
実は、昼のメロドラマに限ったことではないが、ほとんどの
ドラマでは、「危機」が次から次へと訪れるのだ。
アニメの名探偵コナンという番組では、毎回誰かが死亡して
いて、小学生がすでに何百回もの殺人事件と出くわしている。
逆に、昼メロのようなドラマでは、どんな些細な出来事でも
「危機」となってしまい、そのたびに主人公は、誰もがとても
大げさな感情を出すという反応をする。

果たして、あなたは自分の人生を、どんな出来事にも大げさ
に興奮して反応してしまう「昼メロ的人生」を送りたいと願って
いるだろうか?
私はゴメンである。
喜びや感動がある人生は、もちろん素晴らしくて良いが・・・
「危機」や「事件」がしょっちゅう起こって、そのたびに大げさに
興奮して反応を示す人生は、考えただけでも疲れてしまう。
車を電柱にこすってしまったくらいの事故と、命にかかわる
怪我を負って病院に運ばれる事故では、ショックの度合いが
違って当然である。
しかしだ、昼メロドラマでは、どちらも同じくらいのリアクション
で大騒ぎをするから不思議だ。
しかも、そんな出来事は私たちの生活でも日常茶飯事なのだ。
◆現実に大げさな奴
自分の人生や周囲の人たちに、とても不満を持っている女性
の話を聞いたことがある。
その女性は、毎日、何かをきっかけに夫や姑、近所の人たち
と激しい口論をしていた。
その言い争いに対して、彼女からの説明を聞くと、それこそ
昼メロの脚本になりそうなくらいドラマチックなものだった。
彼女は、、、
どんなに小さく些細な問題も大事件のようにとらえ
ほんの少し冷たくされてもプライドをズタズタにされたように感じ
さらには天気が悪くても、自分の不幸のように受け止めていた。
まさに、メロドラマのヒロイン状態になっていたのだ。
◆死ぬほどのこと?
このように、、、
些細な出来事や、小さな危険、架空の脅威などを、絶体絶命の
ピンチだと思い込んで、本来の針路からはずれてしまう経営者
は意外と多い。
例えば、10代の少女にとっては、ボーイフレンドや片思いの彼が
可愛らしい女の子と親しげに会話をしているのを目にしただけで
生死にかかわるくらいのショッキングな問題となる。
「もう死んじゃいたい!!」
などと叫んだりもする。
簡単に想像はつくと思うが、それから何年かたてば、その少女は
その時の出来事や相手の男の子のことすら覚えていない。
人生は長く、想像以上にいろいろな出来事が起こる。
それなのに、、、
多くの大人が、いつまでも10代の少年少女のような生き方を続け
ているのだ。
要は、取るに足らない「危険」や「架空の脅威」を、絶体絶命の
大ピンチだと思い込んで、本来の「針路」から外れてしまっている
のだ。
営業マンも、大事な客のもとへ向かうときに、生死にかかわるよう
な顔をして振る舞ってしまうことがある。

「この契約を取り付けないと、何か月もの苦労が水の泡だ。ノルマも
達成できないし、ボーナスももらえない。予定していた休暇も取れ
なくなるし、妻にも申し訳ない。部長に担当地区を減らされてしまう
かもしれない・・・」
自分にこんなことを言い聞かせてしまっている可能性は大である。
そして、たった一つの商談が、彼の「死活問題」となってしまうのだ。
◆今より長いスパンで見るクセ
もしかしたら、ピンチのときに、多くの人が「生死にかかわる」ように
感じてしまうのは、「失敗=死」を意味していた、太古の昔に命がけ
の狩猟をしていた先祖のDNAかもしれない。
現在では、日常生活でおちいるピンチの場面のほとんどが、生死の
瀬戸際というほどのものではなく・・・
そのまま前進するか、その場にとどまるか、それを決める機会でしか
ないということに気付くと思う。
先ほどの営業マンに起こりうる最悪の事態とはなんであろう?
契約が取れれば、生活が多少よくなることであろうか??
しかし、、、
例え契約がとれなくても、生活が悪くなることはない。
今と変わらないだけのことなのだ。
職がなくてハローワークに通い詰めている人も、働き口が得られる
か、得られないかのどちらかだが、その日に得られなくても就職する
前と立場は変わらない。
今より少し長いスパン(間隔)で物事や出来事をとらえるクセをつけて
もう一度見直してみると・・・
態度をちょっと変えるだけで、どれほど大きな成果がその瞬間に
生まれているかに気づくことができる。
「自分には、得られるものばかりで、失うものは何もない!!」
このようにマインドを入れ替えられた人から、収入を倍に増やして
いるという事実がそこにはある。
どうやら、、、
失敗しても、次のチャンスをうまく利用しようと、落ち着いて気持ちを
整理している人にのみ、必ず「第二幕」が用意されているようだ。
◆長い人生の「ひとこま」
今日おちいっている危機は、結局、長い人生の小さな「ひとこま」で
しかない。
今日がたとえ辛くても、明日には「第二幕」が待っているのだ。
今週が終われば、必ず来週、「第二幕」が始まる。
たとえ、本物の悲劇に直面したとしても、そのうちに「第二幕」の脚本
が書かれ、ちゃんと上演されるのだ。

私も、日々、昼メロの主人公のような状態におちいってしまいそうな
出来事に、多々遭遇する。
つい最近も、かなり気持ち的にかき回されそうな出来事が仕事上で
あったことは事実だ。
「すべての出来事は、今の自分に必要で、何かしらのメッセージだ」
私は常に、このように捉えている。
もう一つ、私はすべてを天にお任せしている。
このマインドを持ったことで、自分の中のエゴをコントロールできる
ようになってきたと感じている。
◆あとから振り返る感覚
過去に起きた出来事で、そのときは悲惨でシリアスな結果をもたらす
ように感じられたことが何度もあった。
しかし、しばらくすると「大したことない」ってわかったものも、今では
いくつもある。
そして、、、
今から3年後、5年後、10年後の未来に身を置いて、今の出来事を
振り返ってみると・・・
さて、どう感じるだろう?

今日の出来事が、自分の人生にとれだけの影響を与えているかを
感じてみたいものだ。
どんなドラマにも共通する要素ってものがある。
2011.10.08 sat 16:28
From : Taichi Makino
藤枝のofficeにて
◆次々に訪れる・・・
実は、昼のメロドラマに限ったことではないが、ほとんどの
ドラマでは、「危機」が次から次へと訪れるのだ。
アニメの名探偵コナンという番組では、毎回誰かが死亡して
いて、小学生がすでに何百回もの殺人事件と出くわしている。
逆に、昼メロのようなドラマでは、どんな些細な出来事でも
「危機」となってしまい、そのたびに主人公は、誰もがとても
大げさな感情を出すという反応をする。

果たして、あなたは自分の人生を、どんな出来事にも大げさ
に興奮して反応してしまう「昼メロ的人生」を送りたいと願って
いるだろうか?
私はゴメンである。
喜びや感動がある人生は、もちろん素晴らしくて良いが・・・
「危機」や「事件」がしょっちゅう起こって、そのたびに大げさに
興奮して反応を示す人生は、考えただけでも疲れてしまう。
車を電柱にこすってしまったくらいの事故と、命にかかわる
怪我を負って病院に運ばれる事故では、ショックの度合いが
違って当然である。
しかしだ、昼メロドラマでは、どちらも同じくらいのリアクション
で大騒ぎをするから不思議だ。
しかも、そんな出来事は私たちの生活でも日常茶飯事なのだ。
◆現実に大げさな奴
自分の人生や周囲の人たちに、とても不満を持っている女性
の話を聞いたことがある。
その女性は、毎日、何かをきっかけに夫や姑、近所の人たち
と激しい口論をしていた。
その言い争いに対して、彼女からの説明を聞くと、それこそ
昼メロの脚本になりそうなくらいドラマチックなものだった。
彼女は、、、
どんなに小さく些細な問題も大事件のようにとらえ
ほんの少し冷たくされてもプライドをズタズタにされたように感じ
さらには天気が悪くても、自分の不幸のように受け止めていた。
まさに、メロドラマのヒロイン状態になっていたのだ。
◆死ぬほどのこと?
このように、、、
些細な出来事や、小さな危険、架空の脅威などを、絶体絶命の
ピンチだと思い込んで、本来の針路からはずれてしまう経営者
は意外と多い。
例えば、10代の少女にとっては、ボーイフレンドや片思いの彼が
可愛らしい女の子と親しげに会話をしているのを目にしただけで
生死にかかわるくらいのショッキングな問題となる。
「もう死んじゃいたい!!」
などと叫んだりもする。
簡単に想像はつくと思うが、それから何年かたてば、その少女は
その時の出来事や相手の男の子のことすら覚えていない。
人生は長く、想像以上にいろいろな出来事が起こる。
それなのに、、、
多くの大人が、いつまでも10代の少年少女のような生き方を続け
ているのだ。
要は、取るに足らない「危険」や「架空の脅威」を、絶体絶命の
大ピンチだと思い込んで、本来の「針路」から外れてしまっている
のだ。
営業マンも、大事な客のもとへ向かうときに、生死にかかわるよう
な顔をして振る舞ってしまうことがある。

「この契約を取り付けないと、何か月もの苦労が水の泡だ。ノルマも
達成できないし、ボーナスももらえない。予定していた休暇も取れ
なくなるし、妻にも申し訳ない。部長に担当地区を減らされてしまう
かもしれない・・・」
自分にこんなことを言い聞かせてしまっている可能性は大である。
そして、たった一つの商談が、彼の「死活問題」となってしまうのだ。
◆今より長いスパンで見るクセ
もしかしたら、ピンチのときに、多くの人が「生死にかかわる」ように
感じてしまうのは、「失敗=死」を意味していた、太古の昔に命がけ
の狩猟をしていた先祖のDNAかもしれない。
現在では、日常生活でおちいるピンチの場面のほとんどが、生死の
瀬戸際というほどのものではなく・・・
そのまま前進するか、その場にとどまるか、それを決める機会でしか
ないということに気付くと思う。
先ほどの営業マンに起こりうる最悪の事態とはなんであろう?
契約が取れれば、生活が多少よくなることであろうか??
しかし、、、
例え契約がとれなくても、生活が悪くなることはない。
今と変わらないだけのことなのだ。
職がなくてハローワークに通い詰めている人も、働き口が得られる
か、得られないかのどちらかだが、その日に得られなくても就職する
前と立場は変わらない。
今より少し長いスパン(間隔)で物事や出来事をとらえるクセをつけて
もう一度見直してみると・・・
態度をちょっと変えるだけで、どれほど大きな成果がその瞬間に
生まれているかに気づくことができる。
「自分には、得られるものばかりで、失うものは何もない!!」
このようにマインドを入れ替えられた人から、収入を倍に増やして
いるという事実がそこにはある。
どうやら、、、
失敗しても、次のチャンスをうまく利用しようと、落ち着いて気持ちを
整理している人にのみ、必ず「第二幕」が用意されているようだ。
◆長い人生の「ひとこま」
今日おちいっている危機は、結局、長い人生の小さな「ひとこま」で
しかない。
今日がたとえ辛くても、明日には「第二幕」が待っているのだ。
今週が終われば、必ず来週、「第二幕」が始まる。
たとえ、本物の悲劇に直面したとしても、そのうちに「第二幕」の脚本
が書かれ、ちゃんと上演されるのだ。

私も、日々、昼メロの主人公のような状態におちいってしまいそうな
出来事に、多々遭遇する。
つい最近も、かなり気持ち的にかき回されそうな出来事が仕事上で
あったことは事実だ。
「すべての出来事は、今の自分に必要で、何かしらのメッセージだ」
私は常に、このように捉えている。
もう一つ、私はすべてを天にお任せしている。
このマインドを持ったことで、自分の中のエゴをコントロールできる
ようになってきたと感じている。
◆あとから振り返る感覚
過去に起きた出来事で、そのときは悲惨でシリアスな結果をもたらす
ように感じられたことが何度もあった。
しかし、しばらくすると「大したことない」ってわかったものも、今では
いくつもある。
そして、、、
今から3年後、5年後、10年後の未来に身を置いて、今の出来事を
振り返ってみると・・・
さて、どう感じるだろう?

今日の出来事が、自分の人生にとれだけの影響を与えているかを
感じてみたいものだ。
Posted by Evolution Mind at 16:31│Comments(0)
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