2011年07月25日
友だちを失う・・・
ビジネスの本質に近づくにつれ、ほぼ、ほとんどの成功者
が、経験することがある。
これは、かなりの確率で訪れるから何かの法則なのかも
しれないと思うようになった、、、
2011.07.25 mon 07:40
From : Taichi Makino
藤枝の自宅officeにて、、、
◆年賀状を書かない男
私のことである。
ただ、以前は書いていた。
ここ数年、私は年賀状を書かなくなった。
だから当然、私からは年賀状を出さないということなので
年々、年賀状は来なくなるわけだ。
「礼儀ってものを知らない失礼なヤローだぜ」
と、思われるかもしれないが、一向に構わない。
なぜなら、そのことで困ったことは一度としてないからだ。
この歳(47)位になると、年に一度の年賀状が、昔馴染みの
友だちとの唯一のやり取りとなる人も多いだろう。
以前は、毎日会っていた職場の人間との年賀状のやり取り
もあり、不思議に思っていた。
毎日あいさつしてるにも関わらず、なおかつ、正月に会えば
「あけましておめでとうございます」というあいさつをするのだ。
年賀状を否定はしない。
出したい人だけだせばいいと思う。
ということで、今までの友だちや知り合いとの縁は遠のいた。
まあ、自然な流れだと思う。
友だちを失った感じがするが・・・一向に構わない。
なぜなら、、、
これまた、そのことで困ったことは一度としてないからだ。
ただ、5~6年前には、年賀状とは「出さなくてはならん」
ものだと考えていたのも事実。
ようは、、、
いったい、何故このような考えに至ったかということである。
◆身に付ける勇気<手離す勇気
ビジネスとは、「人間の真理の追求のようなものだ」と感じた
のが、40歳を過ぎた頃だった。
その頃、私自身が一番勉強になったマインドが、「捨てる」
というものだった。
「手放す」「手離す」といってもいいと思う。
まず、自分から手放すことができないと、入ってくるものが
入ってこれなくなるということに気づいたのだ。
これは自分の人生においての「大発見」だった。
特に、「友人」という存在を「捨てる」などとは、道徳的にも
超非道徳であり、非常識だという声が多いと思われる。
だからあえて、やっちゃったのだ。
今現在の友人であるYS氏に、MN氏の小冊子を勧められたが
驚いたのは、そのほとんどが、すでに私が実践していたことで
あった。
これは、万人には受け入れられないだろう。
大切なモノを手離す行為を好む者はとても少ない。
感情面を考えれば当然だと思う。
辛い、、、悲しい、、、切ない、、、寂しい、、、
誰もが避けたい感情だ。
さらに、島国の農耕民族としてのDNAとは、、、
何事も協力し合い、助け合って、多少のことは我慢して
自分の主張(わがまま)は極力控え、、、
まあ、とにかく周囲の空気を読んで、なるべく自分を出さない
ことを美徳とするような風潮があることは確かであろう。
でなくては、集団の集落で協力して、稲作やその他の農耕
を進めていく上で不都合だったからである。
それを利用して、ごく一部の権力者は人々を統治をしてきた。
そして、バク大な利益を「ひとり占め」してきたのである。
「ずりぃ~!」
と思うかもしれない。
そう思うかもしれないが、この構図は現代まで続いているもの
であることは言うまでもない。
ちなみに、原発の問題だって、ごくごく一部の「ひとり占め」
する人たちの利権の為に、今年までひた隠しにされてきた。
要は、その他大勢の世論を笑顔で受け入れながら、、
自分だけは、世論と真逆の方向に進路をとった者だけが
成功するという仕組みがあると感じる。
その原点が・・・ 「捨てる!」
◆心のゴミ屋敷
つい最近、「もったいない」という言葉が重要視された。
使えるものを捨てないで、何かの形で再利用することが大切
なんだという考え方だと思う。
これには疑問がある。
再利用する用途があって、実際に再利用されているならば
別に問題はなく、世の中にも有益なことだと思う。
この点は認めるし、もっともなことだ。
ただ、「多分これはいつか何かに使えるだろう・・・」と思い
もったいなさから何でも捨てずにいたらどうなるかだ。
ゴミ屋敷という問題がある。
世の「もったいない推進派」の人たちは、あのスサマジイ
ゴミ屋敷を見た時に何と言うだろうか?
ゴミ屋敷の住人が、「もったいないから拾ってきたんだ」と
主張してきたら、「もったいない推進派」の人たちは、、、
「おお、なんとあなたは素晴らしい人だ!」
「あなたのような人がこの世のお手本です」
「みなさん、このような人の考えを見習ってください!」
と、果たして言うだろうか?
まあ、ゴミ屋敷の話となると、ちょっと極端な気もするが・・・
ことの本質は同じであると感じてしまう。
捨てることを、、、手離すことを、、、 恐れている。
「そのままでいたい」
「変化したくない」
「現状で満足していたい」
心の中の「自己防衛本能」が、以上の感情を生みだして
維持しようとするのだ。
成功者は、、、
「このままでいたくない」
「変わりたい」
「現状では満足できない」
といった感情を、「自己防衛本能」という厚い壁を破って
現実化した結果、成功したのだ。
そして、、、
その過程で多くの、事、人、モノ、思考、を捨ててきた。
手離さなくては、先に進めないということと
新しいものが入ってこないということが・・・わかったのだ。
そう・・・心の中は、絶対にゴミ屋敷にしてはいけない。
◆友だちを失う
現在進行形の話だが、、、
私は付き合いが悪い。
「久しぶりだから飲もーぜ!!」という誘いも、どうやったら
断われるかをまず先に考えてしまう。
同級会や同窓会も正直、苦手だ。
一見そのような人物には見えないと思うが、真実は違う。
昔の人間関係も、全てではないが今はどうでもいい。
というか、今の人間関係が全てであって、それに集中して
いるだけだ。
友だちがいないわけではない。
いないわけではないが、多分かなり少ないだろう。
当然だ。
作る努力をせずに、手離す行為ばかりをしているのだから。
しかしだ、、、
なぜだろう、一向に困らないのだ・・・
どうしてだろう、全く寂しくも切なくもないのだ・・・
私は、「変な人」なのか?
「変な人」の代表は「斎藤一人さん」。
あんな人物と同じ形容詞をいただけるのであれば光栄と
感じてしまう。
付け加えるが、、、
友だちは少ないが、メンターは多い。
実際にお会いしているメンターもいれば、勝手にメンター
として仰いでいる人もいる。
多いと言っても6人だ。
私の密かで正直な目標は・・・
今までの全ての「友だち」を手離してでも、メンター達から
私のことを 「友だち」 と思ってもらうことなのだ。
その為には、人間的にも、経済的にも、社会的にも
彼らがいるステージに立たなくてはならない。
彼らは神ではない、人間だ。
だから、きっと同じステージに立てる日がくると信じている。
だから、毎日その努力をするだけだ。
怖くも、寂しくも、悲しくもない。
メンターと同じステージに立つことをイメージするだけで
私はワクワクし、自然と身体が動く。
今回は、ということで
では・・・
PS
あなたには、メンターがいますか?
メンターがいるだけで、世界が違って見えてくると思います。
が、経験することがある。
これは、かなりの確率で訪れるから何かの法則なのかも
しれないと思うようになった、、、
2011.07.25 mon 07:40
From : Taichi Makino
藤枝の自宅officeにて、、、
◆年賀状を書かない男
私のことである。
ただ、以前は書いていた。
ここ数年、私は年賀状を書かなくなった。
だから当然、私からは年賀状を出さないということなので
年々、年賀状は来なくなるわけだ。
「礼儀ってものを知らない失礼なヤローだぜ」
と、思われるかもしれないが、一向に構わない。
なぜなら、そのことで困ったことは一度としてないからだ。
この歳(47)位になると、年に一度の年賀状が、昔馴染みの
友だちとの唯一のやり取りとなる人も多いだろう。
以前は、毎日会っていた職場の人間との年賀状のやり取り
もあり、不思議に思っていた。
毎日あいさつしてるにも関わらず、なおかつ、正月に会えば
「あけましておめでとうございます」というあいさつをするのだ。
年賀状を否定はしない。
出したい人だけだせばいいと思う。
ということで、今までの友だちや知り合いとの縁は遠のいた。
まあ、自然な流れだと思う。
友だちを失った感じがするが・・・一向に構わない。
なぜなら、、、
これまた、そのことで困ったことは一度としてないからだ。
ただ、5~6年前には、年賀状とは「出さなくてはならん」
ものだと考えていたのも事実。
ようは、、、
いったい、何故このような考えに至ったかということである。
◆身に付ける勇気<手離す勇気
ビジネスとは、「人間の真理の追求のようなものだ」と感じた
のが、40歳を過ぎた頃だった。
その頃、私自身が一番勉強になったマインドが、「捨てる」
というものだった。
「手放す」「手離す」といってもいいと思う。
まず、自分から手放すことができないと、入ってくるものが
入ってこれなくなるということに気づいたのだ。
これは自分の人生においての「大発見」だった。
特に、「友人」という存在を「捨てる」などとは、道徳的にも
超非道徳であり、非常識だという声が多いと思われる。
だからあえて、やっちゃったのだ。
今現在の友人であるYS氏に、MN氏の小冊子を勧められたが
驚いたのは、そのほとんどが、すでに私が実践していたことで
あった。
これは、万人には受け入れられないだろう。
大切なモノを手離す行為を好む者はとても少ない。
感情面を考えれば当然だと思う。
辛い、、、悲しい、、、切ない、、、寂しい、、、
誰もが避けたい感情だ。
さらに、島国の農耕民族としてのDNAとは、、、
何事も協力し合い、助け合って、多少のことは我慢して
自分の主張(わがまま)は極力控え、、、
まあ、とにかく周囲の空気を読んで、なるべく自分を出さない
ことを美徳とするような風潮があることは確かであろう。
でなくては、集団の集落で協力して、稲作やその他の農耕
を進めていく上で不都合だったからである。
それを利用して、ごく一部の権力者は人々を統治をしてきた。
そして、バク大な利益を「ひとり占め」してきたのである。
「ずりぃ~!」
と思うかもしれない。
そう思うかもしれないが、この構図は現代まで続いているもの
であることは言うまでもない。
ちなみに、原発の問題だって、ごくごく一部の「ひとり占め」
する人たちの利権の為に、今年までひた隠しにされてきた。
要は、その他大勢の世論を笑顔で受け入れながら、、
自分だけは、世論と真逆の方向に進路をとった者だけが
成功するという仕組みがあると感じる。
その原点が・・・ 「捨てる!」
◆心のゴミ屋敷
つい最近、「もったいない」という言葉が重要視された。
使えるものを捨てないで、何かの形で再利用することが大切
なんだという考え方だと思う。
これには疑問がある。
再利用する用途があって、実際に再利用されているならば
別に問題はなく、世の中にも有益なことだと思う。
この点は認めるし、もっともなことだ。
ただ、「多分これはいつか何かに使えるだろう・・・」と思い
もったいなさから何でも捨てずにいたらどうなるかだ。
ゴミ屋敷という問題がある。
世の「もったいない推進派」の人たちは、あのスサマジイ
ゴミ屋敷を見た時に何と言うだろうか?
ゴミ屋敷の住人が、「もったいないから拾ってきたんだ」と
主張してきたら、「もったいない推進派」の人たちは、、、
「おお、なんとあなたは素晴らしい人だ!」
「あなたのような人がこの世のお手本です」
「みなさん、このような人の考えを見習ってください!」
と、果たして言うだろうか?
まあ、ゴミ屋敷の話となると、ちょっと極端な気もするが・・・
ことの本質は同じであると感じてしまう。
捨てることを、、、手離すことを、、、 恐れている。
「そのままでいたい」
「変化したくない」
「現状で満足していたい」
心の中の「自己防衛本能」が、以上の感情を生みだして
維持しようとするのだ。
成功者は、、、
「このままでいたくない」
「変わりたい」
「現状では満足できない」
といった感情を、「自己防衛本能」という厚い壁を破って
現実化した結果、成功したのだ。
そして、、、
その過程で多くの、事、人、モノ、思考、を捨ててきた。
手離さなくては、先に進めないということと
新しいものが入ってこないということが・・・わかったのだ。
そう・・・心の中は、絶対にゴミ屋敷にしてはいけない。
◆友だちを失う
現在進行形の話だが、、、
私は付き合いが悪い。
「久しぶりだから飲もーぜ!!」という誘いも、どうやったら
断われるかをまず先に考えてしまう。
同級会や同窓会も正直、苦手だ。
一見そのような人物には見えないと思うが、真実は違う。
昔の人間関係も、全てではないが今はどうでもいい。
というか、今の人間関係が全てであって、それに集中して
いるだけだ。
友だちがいないわけではない。
いないわけではないが、多分かなり少ないだろう。
当然だ。
作る努力をせずに、手離す行為ばかりをしているのだから。
しかしだ、、、
なぜだろう、一向に困らないのだ・・・
どうしてだろう、全く寂しくも切なくもないのだ・・・
私は、「変な人」なのか?
「変な人」の代表は「斎藤一人さん」。
あんな人物と同じ形容詞をいただけるのであれば光栄と
感じてしまう。
付け加えるが、、、
友だちは少ないが、メンターは多い。
実際にお会いしているメンターもいれば、勝手にメンター
として仰いでいる人もいる。
多いと言っても6人だ。
私の密かで正直な目標は・・・
今までの全ての「友だち」を手離してでも、メンター達から
私のことを 「友だち」 と思ってもらうことなのだ。
その為には、人間的にも、経済的にも、社会的にも
彼らがいるステージに立たなくてはならない。
彼らは神ではない、人間だ。
だから、きっと同じステージに立てる日がくると信じている。
だから、毎日その努力をするだけだ。
怖くも、寂しくも、悲しくもない。
メンターと同じステージに立つことをイメージするだけで
私はワクワクし、自然と身体が動く。
今回は、ということで
では・・・
PS
あなたには、メンターがいますか?
メンターがいるだけで、世界が違って見えてくると思います。
Posted by Evolution Mind at 07:48│Comments(4)
│起業家育成塾
この記事へのコメント
はじめまして。
読ませていただいて共感する部分が多く・・・
私も正直言うと、人付き合いの良い方ではありません。
でもそれを見せないために、あえて人付き合いしてしまうという矛盾に最近気づき・・・笑
>まず、自分から手放すことができないと、入ってくるものが
入ってこれなくなるということに気づいたのだ。
これ名言ですね。
手放したくて手放した物ではないものもありますが、こういう風に考えると自分の中にこれからは行ってくるであろう新しい風への期待が膨らみます。
ちなみに私も数年前まで年賀状をやめていた時期がありました。
理由は同じです・・・笑
もうデジタルの時代だし・・・
郵便局を儲からせるために年賀状を書くのも。
と電子化してメールに添付。
味気ないと言われつつ、も数年続けました。
今年賀状の交換をしている方はそれでも続いた方。
ちなみに私が年賀状を再開したのは、仕事の為と、親から子供の成長が毎年楽しみだ。
と言われたこと。笑
子供が大人になるまではまたしばらく続く予定です・・・
読ませていただいて共感する部分が多く・・・
私も正直言うと、人付き合いの良い方ではありません。
でもそれを見せないために、あえて人付き合いしてしまうという矛盾に最近気づき・・・笑
>まず、自分から手放すことができないと、入ってくるものが
入ってこれなくなるということに気づいたのだ。
これ名言ですね。
手放したくて手放した物ではないものもありますが、こういう風に考えると自分の中にこれからは行ってくるであろう新しい風への期待が膨らみます。
ちなみに私も数年前まで年賀状をやめていた時期がありました。
理由は同じです・・・笑
もうデジタルの時代だし・・・
郵便局を儲からせるために年賀状を書くのも。
と電子化してメールに添付。
味気ないと言われつつ、も数年続けました。
今年賀状の交換をしている方はそれでも続いた方。
ちなみに私が年賀状を再開したのは、仕事の為と、親から子供の成長が毎年楽しみだ。
と言われたこと。笑
子供が大人になるまではまたしばらく続く予定です・・・
Posted by ひとみん
at 2011年07月25日 15:34

ひとみんさん、コメントありがとうございました。
実は私、入ってくるものが多く二年もかかって
しまいました。
逆を言うと、捨てられないものが、それだけ多く
あったということになります。
大変でした。
「苦しい原因がそこにあったとは・・・」という感覚
を覚えたことが、つい最近のようです。
年賀状は、ほんの1つの例え話です。
それ以外も、いっぱい、いっばい捨てました。
で、今はと言うと、、、
全然困ってもないし、なんの支障もありません。
コミュニケーションの手段は、本当に様々あります。
なので、これがいい、これが悪いとは決めつけないで
ください。
実は私、入ってくるものが多く二年もかかって
しまいました。
逆を言うと、捨てられないものが、それだけ多く
あったということになります。
大変でした。
「苦しい原因がそこにあったとは・・・」という感覚
を覚えたことが、つい最近のようです。
年賀状は、ほんの1つの例え話です。
それ以外も、いっぱい、いっばい捨てました。
で、今はと言うと、、、
全然困ってもないし、なんの支障もありません。
コミュニケーションの手段は、本当に様々あります。
なので、これがいい、これが悪いとは決めつけないで
ください。
Posted by Evolution Mind
at 2011年07月25日 20:28

私も捨てています・・・。
相手から何と思われても構いません。
必要な人とのみの付き合いだけあいたいのです。
嫌な気持ちを知っているのに、我慢して・・嘘ついて・・・。
もう、自分も許せなくなるんですね。
相手のあれがイヤ!ここがイヤ!!って思って、その人の笑うのも
たまらないです。
自分の目標に向かって、進んでいくだけですね。
ブレずに。
相手から何と思われても構いません。
必要な人とのみの付き合いだけあいたいのです。
嫌な気持ちを知っているのに、我慢して・・嘘ついて・・・。
もう、自分も許せなくなるんですね。
相手のあれがイヤ!ここがイヤ!!って思って、その人の笑うのも
たまらないです。
自分の目標に向かって、進んでいくだけですね。
ブレずに。
Posted by Roseribon at 2011年07月26日 17:07
結局、自分のことを一番わかっているのが自分です。
素直に自分の感情を見つめた時に、そこに映し出され
る表情が、今の本当の自分の気持ちだと思います。
そして、なによりも一番先に大切にしなくてはならない
存在も自分自身だと思います。
夫婦、親子、兄弟、姉妹、親友、ビジネスパートナー、、
人間関係において、人は強くその繋がりを求めます。
しかし、どんなに絆を強めたと思っても、人生の中で
他人との繋がりにおいて、永続的に満足できることは
なかなかないと感じます。
結局、孤独が訪れますし、それはそれで認めるしか
ないのではないでしょうか・・・。
孤独を恐れ、人は他人に自分を合わせていきます。
しかし、、、
自分という人間として生きていく中で、他人の感情や
行動・思考・言葉・しぐさに振り回される人生を、私は
決して送りたくありません。
私の考え方ですが、、、
私は、私のまわりを「尊敬」できる仲間で固めていき
たいと願っています。
尊敬とは、人間だけが持つことができる貴重な感情
であって、時間も空間も通り越すことができるものだ
と思うからです。
Roseribonさん、がんばってくださいね。
素直に自分の感情を見つめた時に、そこに映し出され
る表情が、今の本当の自分の気持ちだと思います。
そして、なによりも一番先に大切にしなくてはならない
存在も自分自身だと思います。
夫婦、親子、兄弟、姉妹、親友、ビジネスパートナー、、
人間関係において、人は強くその繋がりを求めます。
しかし、どんなに絆を強めたと思っても、人生の中で
他人との繋がりにおいて、永続的に満足できることは
なかなかないと感じます。
結局、孤独が訪れますし、それはそれで認めるしか
ないのではないでしょうか・・・。
孤独を恐れ、人は他人に自分を合わせていきます。
しかし、、、
自分という人間として生きていく中で、他人の感情や
行動・思考・言葉・しぐさに振り回される人生を、私は
決して送りたくありません。
私の考え方ですが、、、
私は、私のまわりを「尊敬」できる仲間で固めていき
たいと願っています。
尊敬とは、人間だけが持つことができる貴重な感情
であって、時間も空間も通り越すことができるものだ
と思うからです。
Roseribonさん、がんばってくださいね。
Posted by Evolution Mind
at 2011年07月27日 05:53
