2011年05月14日
1976 中1夏・・・
以前このブログでご紹介したことがある、「私」の中学時代
のエピソードをリライトしてみました。

内容はほとんど変わっていませんが、最近「私」と出会った
方に向けて書きました。
藤枝の田舎少年の、思春期真っ盛りのエピソードです。
今回は、難しいお話ではありませんので、単純に楽しんで
いただけたら幸いです。
2011.05.14 sat 14:33
From : Taichi Makino
藤枝の自宅officeにて、、、
◆ 1 9 7 6 年
昭和51年 ロッキード事件が発覚・・・
時の総理大臣、田中角栄氏のしゃべり方のモノマネを研究
して、学校に行くと男子連中で披露しあっていたバカ時代。
当時の私は、思春期真っ盛り12歳、、、
中学一年生の夏の思い出を話す前に、私は12歳から46歳
の34年間、部活に携わっていた。
12歳から23歳までは運動部の選手として。
23歳~46歳までの23年間は指導者として、部活に全精力
をぶつけていた。
その生活にピリオドを打った昨年2010年だが、やっぱり今も
思いだすのは、「ブ・カ・ツ・・・」
アホのように打ち込んできたからこそ、思い出となっている。
こんな人は、果たして私だけだろうか…?
◆ボウズ頭は大人の香り
当時、中学生になるとボウズ頭にしなければならなかった。
「出家」 の俗世間版のような気分になってしまうのは、当時の
男子の常で、嫌でも自然とおごそかな気持ちになっていった。
多くの同級生が、春休みにいやいやボウズ頭にする。
それに逆らって、小学校の卒業式前に私は 「出家」 をした。
「恥ずかしい思いは先にしちゃった方がいいんだ!!」
と、当時は本能的に感じ取っていたのであろう。
それは今でも同じで、、、
【嫌なことは初めにやってしまえ】的な考えは、私の生き方の
端々に今もって見え隠れしている。
さて、当時の男子の会話の多くは、中学に入ったら何の部活
に入るのか、ということだった。
小学6年生時の牧野少年は、すでに170cmの背丈があって
運動能力もまあまあだったため、中学の部活は大変に楽しみ
でもあった。
◆やっぱ、野球部でしょ。
ここからは、今の 「私」 から、当時の 「僕」 になって話をして
いこうと思う・・・
僕が小学校時代に、ムキになって取り組んでいたスポーツは
ソフトボールだった。
ドッジボールでは2流だったが、ソフトボールでは1流だった。
スポーツテストのボール投では、60mを投げて1位。
中学に入ったら、「野球しかないでしょ!!」 という感じだった。
その時の愛読書がマンガの「ドカベン」だった影響は否めない。
中学入学前の春休みにはバットを毎日庭で振ったりと、気合い
がみなぎっていた。
◆仮入部
中学には、「とりま入部」的な制度があって、お試し的な入部
方式があった。
今考えると、とても教育的な制度であると納得。
野球部の仮入部に出かけた僕は、登録用紙の記入が済むと
「先輩」という、聞き慣れない響きの上級生から 「説明」という
妙な決まりごとを聞かされた。
「え~かぁ、100m先でも先輩の姿が見えたらよぉ、
でっけぇ声で、ちぃ~ッスってあいさつすんだぞ!!」
「説明」は以上だった。
その頃、多分マンガの読みすぎで、視力がどんどん落ちてい
た僕は、100m先の先輩を見分ける術が見つからなかった。
のちに、眼鏡を買うことになるのだが、、、
それより僕は、、、
「先輩という人は、100m先の相手に挨拶されて
どーして恥ずかしくないんだろう?」
という素朴な疑問を持ち、挨拶している自分をイメージしたら
妙に滑稽に思えて、あっさり入部の気持ちが萎えてしまった。
◆さーて、どうするかぁ?
とにかく動き盛りの男子だった僕は、所属部活が決まらずに
やや焦っていた。
他の友だちは、どんどん入部が決まっていく・・・
そこで選んだのが、背がデカイというだけでバレーボール部。
確か、バレーボールのワールドカップのような大会が日本で
開催されていて、話題性にはこと欠かなかったのが最終的な
入部の動機だったと思う。
田中幹保、猫田勝敏、小田勝美、知る人ぞ知る名選手に関心
を持ちつつ、
ベイ・シティー・ローラーズの、「サタデー・ナイト」に夢中だった
僕は、、、
「バレーボール部に入れて下さい。」
と、入部の門を叩いたのであった・・・
◆ゲッ、モテねぇ!!
正直、その頃の牧野少年は、、、
思春期の真っ盛りを目の前にして、女子にモテたいという感情
が、生活の随所にあふれ出ていた。
(この感情は、いまだに続いているからスゴイのだが・・・)
まあ、運動部に入っていればカッコイイと思われる、という安易
な発想を、当時の男子は少なからず持っていたのではないだ
ろうか?
「オレはもっと純粋に運動部に入ったんだ」的な男子生徒諸君も
後にだんだんと、「カッコイイって思われたい教」 の熱心な信者と
して密かに入信し、増殖していったとも考えられるが・・・
しかし、どうしても真面目ヅラをしている者は結構いたのである。
要は、隠れキリシタン的な奴らが結構多く、ふらちな心を隠して
書店でナンチャラ拳法のような本を買ってきては、自宅で筋トレ
オタクのような生活を送っていた奴もいた。
そんな奴はどうでもいい。
どうでもいいのだが、モテない・・・
そんな中、女子にキャーキャー言われるのは、そのほとんどが
サッカー部のチャラ男たちだった。
サッカーをやっているだけでモテるという方程式は、数学をどん
なに勉強しても、サッパリ解けなかった。
特に夏。
熱い太陽の陽ざしを浴びて、真っ黒に日焼けした彼らは、汗を
イッパイかいて、「われら青春」の世界に直リンクした。
雨でも降ろうものなら、土砂降りのグランド上で 泥にまみれて
ボールを追う選手の姿を目の当たりにするのである。
瞳の中に☆を輝かす女子が増殖してきても不思議ではない。
藤枝市という、サッカーが 「国技」 のような街ならなおさらだ。
室内、色白、目立たない、パッとしねぇ~バレー部は、ガン黒
サッカー部の引き立て役にしかならなかった。
目立ちたがり少年だった僕は、ガマンの限界を越したせいか
態度や、服装に、、その欲望の傾向が現れ始めた。
◆ウィンクする先輩
そんな夏のある日、先輩という見知らぬ男子生徒が僕を呼び
にきた。
プールで遊ぼうぜ、という類のお誘いでないことは察しがつく
年頃になっていた。
学校の裏の空き地のような場所では、先輩という人達が20人
くらいで待ち構えていた。
恐い顔して、「メンチ」と言うウィンクを飛ばしてくれていた。
その中の数人が僕に向かって、険しい顔をしながら何か早口
でわめいてきたのだが、、、
中国人が広東語で騒ぎ立てているようにしか聞こえず、何を
言ってるかは、サッパリわからなかった。
ただ、少々、「友好的でないスキンシップ」 が入ったときには
僕の心の中の、「あるスイッチ」 が ON になった気がした。
◆イケイケ!!
そのよーな出来事があったにも関わらず、僕の様子は変わる
ことなく過ぎていった。
それと同時に、バレーボールをもっと極めたいという欲も出て
き始めたのだった。
もともとすぐに夢中になる性質だ。
運動能力には自信があった。
とくに、瞬発力とジャンプ力では、3年生も含めて負ける気が
しなかった。
中学生で、バスケットボールのリングに手が届く男子生徒は
多分そんなにいなかったのではと思う。
そしてその当時、ちょっと気になる女の人がいた。
いつも隣で練習している女子バレー部のキャプテンのMさん
だった。
2つ年上で女子の先輩だが、よく声をかけてくれた。
顔がちっちゃくてかわいくて、背丈はそんなに高くないけれど
明るくて、3年男子の中で人気№1だった。
さらに後輩女子には、憧れの先輩的な存在だったらしい。
そのMさんが、なぜか僕に優しいのである。
いい気になった!
有頂天になった!!
天狗にもなった!!!
日に日に仲良くなっていき、下校時も途中まで一緒に帰る・・・
そんな感じで親しさをグーンと増していった。
「これも、部活のおかげだぜ・・・」
しみじみ思ったこともあった。
夏休みに入ると、次々に中体連の試合が終わり、3年生が
引退して1、2年生だけの活動が始まった。
味気ない・・・
意味がない・・・
燃えない・・・
暑い・・・
隣のコートでがんばっていたMさんの姿がなくなったとき、、、
気合いが、イマイチどころか・・・
イケイケのスイッチが、全く入らなくなった。
◆「牧野、ちょっと来い」
その夏休みに入る前に、僕は学校で一番年配の体育教師
に呼ばれ、最も苦手だった職員室に拉致された。
「なんスか?」 と僕
「まぁ~座れや」 と体育教師
だいたいが職員室に呼ばれるときは、よくないことがあった
場合だと、当時は相場が決まっていた。
「お前な、陸上やってみねぇーか?」 と体育教師
「はぁ、陸上っすか?」 と僕
「秋に市の陸上大会があるんだか、陸上部以外にも
全校生徒から選抜して、大会に出場させてるんだ」
「全校生徒から選抜っスか?」 と僕
この瞬間に、、、
安倍川、蓮花寺、焼津海上の花火大会が、同時に、一気に
打ち上げられた感じがした。
しかし、そんな感情は出さずに、「仕方ねぇ~なぁ」感だけは
ちゃんとと保って、、、
「選ばれたなら仕方ないっスね」
と、クールに装い、実は心の中で天に向かってガッツポーズ
をくり返していたのだった。
1年~3年の中から選ばれたのだ。
1年生で選ばれたのは僕を含め3人だけだった。
これは快挙だった。
夏の太陽・・・
焼けるグランド・・・
ほとばしる汗・・・
日焼けした素肌・・・
ひたむきに走る姿・・・
ようやく活躍の場が来たと感じた瞬間だった。
それだけではない、、、
「これでモテる、俺は勝ったぜ!!」
と思ったのだった。
あのサッカー部の連中も選ばれていない。
そういった集団に属する「特別感」と「優越感」は、当時の
モテたい少年、牧野くんの心を満たすには、充分なもので
あったことは言うまでもない。
◆さらなる追い風
選抜メンバーの中に、Mさんがいた!!
夏休みのど真ん中あたりで、陸上の選抜メンバーの集合
があり、久々に顔を見ることができた喜びは、、、
藤枝にできたばかりのモスバーガーで、テリヤキバーガー
を 始めて食べたときに匹敵した。
そんな僕の気持ちをよそに、体育教師は選手それぞれの
専門種目を淡々と発表していった。
「牧野は跳躍」
「ちょーやく?」 と僕
聞き慣れない言葉で戸惑った。
「ねぇMさん、ちょーやくって言われたけど何それ?」
先生に聞けばいいものの、あえてMさんに聞く。
「多分、幅跳びとか高跳びとかそんな感じじゃない?」
Mさんは、陸上競技には詳しくないようだったが、答え方は
相変わらず、牧野少年をデレデレさせる系であった。
「ところで、Mさんは何やるの?」 と僕
「あっ、私はね、投てき!」 とMさん
「トンテキ?? 何それ?」 と僕
「砲丸投げをやるみたいなの」 とMさん
ショックだった・・・
種目が違うだけならまだしも、Mさんに、あんな重い鉄の玉
を投げさせるなんて・・・
Mさんが、Sさんにイジメられてる、、、
まぁ、ちょっと苦しいが、そんな感じだった。
「牧野くんは、ジャンプ力がすごいから
きっと記録が出せるよ、がんばってね!!」
女と言うものは、男をその気にさせる【天才的生物】である
と、その時しみじみ実感した。
アメリカ映画で、、、
「ロッキー」が、妻になるエイドリアンから「WIN(勝って)…」と
言われたとたん、、、
それまでのグータラ生活から、180度変わり、練習の鬼と化
して、ボクシングへの意気込みがMAXになってしまった・・・
そのくらい好きな女の一言のパワーは、「歴史」を変えるくらい
とにかくスゴイ!!
そこから僕は、超調子に乗りまくり、ロッキー・バルボア改め
マッキー・バルボアと自分を呼ぶようになったのである。
◆ 下 心
選抜された上級生の 「先輩」 の中に、僕を学校の裏に呼び
だした奴らの何人かがいた。
不思議な事に、選抜されてMさんとも親しい僕に、それ以降
メンチを切ってくることはなくなっていたのだ。
その代わり、やけに馴れ馴れしく僕に話しかけてくるようにな
ってきた。
別に嫌ではなかったのだが・・・
「牧野さぁ、なんでMとあんなに仲がいいんだ?
どうやったらよぉ、あんな感じで話せんだよ??」
なるほど、そーゆーことかい。
誰がMさんを、おめーみてーなチャラ男と親しくさせるもんか!!
男ってもんは、好きな女を守るときには、本領ってヤツを発揮
するものなんだ、と、何かのマンガで読んだ台詞を思いだした。
「Mさんてさ、ダウンタウン・ブギウギバンドの
宇崎竜童タイプが好きみたいっスよ」 と僕
実際は、フォークソングのかぐや姫のファンだった。
「オレは姫を守った!!」
とゆーよーな感じだった。
まあ、確かに、「嘘は良くない」。
しかし、その時は、、、
「へっ、ザけんじゃねえよ」
で一蹴できてしまった。
◆中学1年 性
Mさんとは種目は違ったが、アップと基礎練習は、全員が同じ
メニューで行うのが通常だった。
ストレッチのパートナーがたまたまいなかった日に、女子では
あったが、Mさんが僕のパートナーをやってくれた。
滅多にないことである。
「よろしくね!!」
とほほ笑むMさんの笑顔は、この世のものではない感じだった。
「うぃっス…」 ど緊張の牧野。
その理由は、単純明快だ。
そう、ストレッチはお互いの身体に触れるからだ。
いくら親しくしていたって、身体に触れることなどなかったので
ストレッチは強烈なスキンシップだ。
僕は、休んでくれたパートナーと、ストレッチに心から感謝した。
背中を押してくれたとき、「案外柔らかいじゃん」 と言いながら
ふざけて、カラダ全体で押してきたMさんの、胸の感触の方が
柔らかく・・・
思春期真っ盛りの僕は、言葉も返せず、、、
ただただ、いい香りがするMさんを感じて、鼻血が吹き出して
きそうな状態をこらえていたことは、まぎれもない事実だった。
僕がMさんの身体を押す番のときは、心臓を誰かに鷲づかみ
にされているよーなバクバク感だった。
カラダを押すために手のひらを背中に当てると、Mさんは小さく
て、とても華奢(きゃしゃ)な感じがして、なぜか興奮して、口から
心臓が飛び出てきそうだったことを覚えてる。
まあ、その日の練習は練習にならず、夜から明け方にかけて
思春期少年の「性」は熱く燃え上がっていった。
部活ってなんて素晴らしいんだ・・・
しかしながら、、、
不純のかたまりのような事ばかりではなく、やはり記録更新に
向けての戦いもあった。
走り幅とび(ロング・ジャンプ)を練習していた僕は、6mを目標に
練習していた。
しかし、そう簡単に6mは超えられない。
スポーツテストの幅跳びと違って、助走の距離や、加速の仕方
タイミングの合わせ方からフォームまで、かなり本格的なものに
なる。
後で聞いた話だが、先生は2年から3年で結果を残してくれれば
いい的な考えで1年生を選んだらしい。
どっこい、それでは僕のプライドが許さない。
絶対に結果を出して、「新聞に載る」と宣言までした。
特に、宣言した相手がMさんだっただけに真剣だ。
まあ、その年は結果などでるわけでもなく、散々だったのだが・・・
後の結果はさておいて、その夏の陸上練習は燃えた。
本業のバレーボールの練習の10倍はやった。
家に帰っても筋トレを続けた。
とにかく、バカみたいにやった。
◆「牧野くん、ちょっといいかな・・・」
あと数日で、夏の練習が終わるというある日、、、
僕はMさんに呼び出された。
その時、普段の明るくかわいいMさんの雰囲気がなかった。
中学校から少しだけ離れた山の上に、神社があったのだが
そこに呼び出されたのである。
練習のあとだったので、なぜか僕は普段以上に顔を入念に洗い
バカだなと思ったけれど、ロッテのグリーンガムを買って、3枚を
まとめて口に入れてよく噛んだ。
何を期待していたのか・・・
すでに気づかれたと思う。
「ゴメンネ、牧野くん呼び出しちゃって…」 とMさん
「全然いいっスよ、それよりどーしたんっスか?」
「うん・・・」 とMさん
この時点では、期待の方が上回っていて、心臓の音がMさんに
聞こえるんじゃないかと本気で心配していた。
「あのね、実は好きな人がいるの…」
「(来た…)」 と心で叫ぶ僕
「私の気持ちをどう伝えていいかわからないのよね」
「あっ、そ、そーだったんだ…」 とまだ半分期待の僕
「サッカー部のAくん知ってるでしょ!?」
「(ほえっ??)」
「Aくん、サッカーの強いH高に行くみたいだから
なんとかその前に自分の気持ちを伝えたかったんだ」
「あっ、あぁ~、そーだったんだ・・・」 と僕
虹を見つけて喜んで、虹のふもとまで笑顔で駆け寄ったときに
急に誰かに呼ばれて 振り返ったら、飛んで来ていた鉄の砲丸
が顔面に直撃したような衝撃だった。
動揺を隠そうとポケットに手を突っ込んだ。
残りのグリーンガムが手に当たり、思わず泣きそうになった。
でも、必死でこらえた。
「男子で相談できる人っていなかったんで
ついつい牧野くんに頼っちゃった、ゴメンネ」
「いいっスよ、俺も好きな人できたときには
Mさんに相談するからさ・・・」
「もちろんよ、絶対に言ってきてね」 とMさん
時間にしてどのくらいだったのだろう、、、
正直、何をしゃべったのか、今もってよく思いだせない。
ただ、日が暮れかかった帰り道を自転車があるにも拘わらず
乗らずに押して帰ったのだけは覚えている。
◆That's all
そんな感じで中学1年生の夏は終わった。
そのあと迎えた秋の陸上大会に出場したときには、僕は13才
になっていた。
そして、その半年後、Mさんたち3年生は卒業していった。
また、それ以降、彼女には一度も個人的に会えなかったので
約束した、「好きな人の相談」はできなかった・・・
時は流れ・・・
それから、さらに2年後、、、
僕は、中学校時代の様々な思いを胸に、県営草薙陸上競技場
の第5レーンで、中体連静岡県大会100mハードル決勝を迎え
ていた。
~完~
PS
中学時の夏の思い出は、「部活」一色だったけど、2年生編も
3年生編も、ある意味バラエティーに富んだものでした。
続く高校時代の超試練編は、涙、涙の物語です。
大学時代の体育会編は、ちょっと内容が強烈すぎて書けません。
ただ、過ぎてみれば全ていい時代で、いい経験だったんですね・・・
のエピソードをリライトしてみました。

内容はほとんど変わっていませんが、最近「私」と出会った
方に向けて書きました。
藤枝の田舎少年の、思春期真っ盛りのエピソードです。
今回は、難しいお話ではありませんので、単純に楽しんで
いただけたら幸いです。
2011.05.14 sat 14:33
From : Taichi Makino
藤枝の自宅officeにて、、、
◆ 1 9 7 6 年
昭和51年 ロッキード事件が発覚・・・
時の総理大臣、田中角栄氏のしゃべり方のモノマネを研究
して、学校に行くと男子連中で披露しあっていたバカ時代。
当時の私は、思春期真っ盛り12歳、、、
中学一年生の夏の思い出を話す前に、私は12歳から46歳
の34年間、部活に携わっていた。
12歳から23歳までは運動部の選手として。
23歳~46歳までの23年間は指導者として、部活に全精力
をぶつけていた。
その生活にピリオドを打った昨年2010年だが、やっぱり今も
思いだすのは、「ブ・カ・ツ・・・」
アホのように打ち込んできたからこそ、思い出となっている。
こんな人は、果たして私だけだろうか…?
◆ボウズ頭は大人の香り
当時、中学生になるとボウズ頭にしなければならなかった。
「出家」 の俗世間版のような気分になってしまうのは、当時の
男子の常で、嫌でも自然とおごそかな気持ちになっていった。
多くの同級生が、春休みにいやいやボウズ頭にする。
それに逆らって、小学校の卒業式前に私は 「出家」 をした。
「恥ずかしい思いは先にしちゃった方がいいんだ!!」
と、当時は本能的に感じ取っていたのであろう。
それは今でも同じで、、、
【嫌なことは初めにやってしまえ】的な考えは、私の生き方の
端々に今もって見え隠れしている。
さて、当時の男子の会話の多くは、中学に入ったら何の部活
に入るのか、ということだった。
小学6年生時の牧野少年は、すでに170cmの背丈があって
運動能力もまあまあだったため、中学の部活は大変に楽しみ
でもあった。
◆やっぱ、野球部でしょ。
ここからは、今の 「私」 から、当時の 「僕」 になって話をして
いこうと思う・・・
僕が小学校時代に、ムキになって取り組んでいたスポーツは
ソフトボールだった。
ドッジボールでは2流だったが、ソフトボールでは1流だった。
スポーツテストのボール投では、60mを投げて1位。
中学に入ったら、「野球しかないでしょ!!」 という感じだった。
その時の愛読書がマンガの「ドカベン」だった影響は否めない。
中学入学前の春休みにはバットを毎日庭で振ったりと、気合い
がみなぎっていた。
◆仮入部
中学には、「とりま入部」的な制度があって、お試し的な入部
方式があった。
今考えると、とても教育的な制度であると納得。
野球部の仮入部に出かけた僕は、登録用紙の記入が済むと
「先輩」という、聞き慣れない響きの上級生から 「説明」という
妙な決まりごとを聞かされた。
「え~かぁ、100m先でも先輩の姿が見えたらよぉ、
でっけぇ声で、ちぃ~ッスってあいさつすんだぞ!!」
「説明」は以上だった。
その頃、多分マンガの読みすぎで、視力がどんどん落ちてい
た僕は、100m先の先輩を見分ける術が見つからなかった。
のちに、眼鏡を買うことになるのだが、、、
それより僕は、、、
「先輩という人は、100m先の相手に挨拶されて
どーして恥ずかしくないんだろう?」
という素朴な疑問を持ち、挨拶している自分をイメージしたら
妙に滑稽に思えて、あっさり入部の気持ちが萎えてしまった。
◆さーて、どうするかぁ?
とにかく動き盛りの男子だった僕は、所属部活が決まらずに
やや焦っていた。
他の友だちは、どんどん入部が決まっていく・・・
そこで選んだのが、背がデカイというだけでバレーボール部。
確か、バレーボールのワールドカップのような大会が日本で
開催されていて、話題性にはこと欠かなかったのが最終的な
入部の動機だったと思う。
田中幹保、猫田勝敏、小田勝美、知る人ぞ知る名選手に関心
を持ちつつ、
ベイ・シティー・ローラーズの、「サタデー・ナイト」に夢中だった
僕は、、、
「バレーボール部に入れて下さい。」
と、入部の門を叩いたのであった・・・
◆ゲッ、モテねぇ!!
正直、その頃の牧野少年は、、、
思春期の真っ盛りを目の前にして、女子にモテたいという感情
が、生活の随所にあふれ出ていた。
(この感情は、いまだに続いているからスゴイのだが・・・)
まあ、運動部に入っていればカッコイイと思われる、という安易
な発想を、当時の男子は少なからず持っていたのではないだ
ろうか?
「オレはもっと純粋に運動部に入ったんだ」的な男子生徒諸君も
後にだんだんと、「カッコイイって思われたい教」 の熱心な信者と
して密かに入信し、増殖していったとも考えられるが・・・
しかし、どうしても真面目ヅラをしている者は結構いたのである。
要は、隠れキリシタン的な奴らが結構多く、ふらちな心を隠して
書店でナンチャラ拳法のような本を買ってきては、自宅で筋トレ
オタクのような生活を送っていた奴もいた。
そんな奴はどうでもいい。
どうでもいいのだが、モテない・・・
そんな中、女子にキャーキャー言われるのは、そのほとんどが
サッカー部のチャラ男たちだった。
サッカーをやっているだけでモテるという方程式は、数学をどん
なに勉強しても、サッパリ解けなかった。
特に夏。
熱い太陽の陽ざしを浴びて、真っ黒に日焼けした彼らは、汗を
イッパイかいて、「われら青春」の世界に直リンクした。
雨でも降ろうものなら、土砂降りのグランド上で 泥にまみれて
ボールを追う選手の姿を目の当たりにするのである。
瞳の中に☆を輝かす女子が増殖してきても不思議ではない。
藤枝市という、サッカーが 「国技」 のような街ならなおさらだ。
室内、色白、目立たない、パッとしねぇ~バレー部は、ガン黒
サッカー部の引き立て役にしかならなかった。
目立ちたがり少年だった僕は、ガマンの限界を越したせいか
態度や、服装に、、その欲望の傾向が現れ始めた。
◆ウィンクする先輩
そんな夏のある日、先輩という見知らぬ男子生徒が僕を呼び
にきた。
プールで遊ぼうぜ、という類のお誘いでないことは察しがつく
年頃になっていた。
学校の裏の空き地のような場所では、先輩という人達が20人
くらいで待ち構えていた。
恐い顔して、「メンチ」と言うウィンクを飛ばしてくれていた。
その中の数人が僕に向かって、険しい顔をしながら何か早口
でわめいてきたのだが、、、
中国人が広東語で騒ぎ立てているようにしか聞こえず、何を
言ってるかは、サッパリわからなかった。
ただ、少々、「友好的でないスキンシップ」 が入ったときには
僕の心の中の、「あるスイッチ」 が ON になった気がした。
◆イケイケ!!
そのよーな出来事があったにも関わらず、僕の様子は変わる
ことなく過ぎていった。
それと同時に、バレーボールをもっと極めたいという欲も出て
き始めたのだった。
もともとすぐに夢中になる性質だ。
運動能力には自信があった。
とくに、瞬発力とジャンプ力では、3年生も含めて負ける気が
しなかった。
中学生で、バスケットボールのリングに手が届く男子生徒は
多分そんなにいなかったのではと思う。
そしてその当時、ちょっと気になる女の人がいた。
いつも隣で練習している女子バレー部のキャプテンのMさん
だった。
2つ年上で女子の先輩だが、よく声をかけてくれた。
顔がちっちゃくてかわいくて、背丈はそんなに高くないけれど
明るくて、3年男子の中で人気№1だった。
さらに後輩女子には、憧れの先輩的な存在だったらしい。
そのMさんが、なぜか僕に優しいのである。
いい気になった!
有頂天になった!!
天狗にもなった!!!
日に日に仲良くなっていき、下校時も途中まで一緒に帰る・・・
そんな感じで親しさをグーンと増していった。
「これも、部活のおかげだぜ・・・」
しみじみ思ったこともあった。
夏休みに入ると、次々に中体連の試合が終わり、3年生が
引退して1、2年生だけの活動が始まった。
味気ない・・・
意味がない・・・
燃えない・・・
暑い・・・
隣のコートでがんばっていたMさんの姿がなくなったとき、、、
気合いが、イマイチどころか・・・
イケイケのスイッチが、全く入らなくなった。
◆「牧野、ちょっと来い」
その夏休みに入る前に、僕は学校で一番年配の体育教師
に呼ばれ、最も苦手だった職員室に拉致された。
「なんスか?」 と僕
「まぁ~座れや」 と体育教師
だいたいが職員室に呼ばれるときは、よくないことがあった
場合だと、当時は相場が決まっていた。
「お前な、陸上やってみねぇーか?」 と体育教師
「はぁ、陸上っすか?」 と僕
「秋に市の陸上大会があるんだか、陸上部以外にも
全校生徒から選抜して、大会に出場させてるんだ」
「全校生徒から選抜っスか?」 と僕
この瞬間に、、、
安倍川、蓮花寺、焼津海上の花火大会が、同時に、一気に
打ち上げられた感じがした。
しかし、そんな感情は出さずに、「仕方ねぇ~なぁ」感だけは
ちゃんとと保って、、、
「選ばれたなら仕方ないっスね」
と、クールに装い、実は心の中で天に向かってガッツポーズ
をくり返していたのだった。
1年~3年の中から選ばれたのだ。
1年生で選ばれたのは僕を含め3人だけだった。
これは快挙だった。
夏の太陽・・・
焼けるグランド・・・
ほとばしる汗・・・
日焼けした素肌・・・
ひたむきに走る姿・・・
ようやく活躍の場が来たと感じた瞬間だった。
それだけではない、、、
「これでモテる、俺は勝ったぜ!!」
と思ったのだった。
あのサッカー部の連中も選ばれていない。
そういった集団に属する「特別感」と「優越感」は、当時の
モテたい少年、牧野くんの心を満たすには、充分なもので
あったことは言うまでもない。
◆さらなる追い風
選抜メンバーの中に、Mさんがいた!!
夏休みのど真ん中あたりで、陸上の選抜メンバーの集合
があり、久々に顔を見ることができた喜びは、、、
藤枝にできたばかりのモスバーガーで、テリヤキバーガー
を 始めて食べたときに匹敵した。
そんな僕の気持ちをよそに、体育教師は選手それぞれの
専門種目を淡々と発表していった。
「牧野は跳躍」
「ちょーやく?」 と僕
聞き慣れない言葉で戸惑った。
「ねぇMさん、ちょーやくって言われたけど何それ?」
先生に聞けばいいものの、あえてMさんに聞く。
「多分、幅跳びとか高跳びとかそんな感じじゃない?」
Mさんは、陸上競技には詳しくないようだったが、答え方は
相変わらず、牧野少年をデレデレさせる系であった。
「ところで、Mさんは何やるの?」 と僕
「あっ、私はね、投てき!」 とMさん
「トンテキ?? 何それ?」 と僕
「砲丸投げをやるみたいなの」 とMさん
ショックだった・・・
種目が違うだけならまだしも、Mさんに、あんな重い鉄の玉
を投げさせるなんて・・・
Mさんが、Sさんにイジメられてる、、、
まぁ、ちょっと苦しいが、そんな感じだった。
「牧野くんは、ジャンプ力がすごいから
きっと記録が出せるよ、がんばってね!!」
女と言うものは、男をその気にさせる【天才的生物】である
と、その時しみじみ実感した。
アメリカ映画で、、、
「ロッキー」が、妻になるエイドリアンから「WIN(勝って)…」と
言われたとたん、、、
それまでのグータラ生活から、180度変わり、練習の鬼と化
して、ボクシングへの意気込みがMAXになってしまった・・・
そのくらい好きな女の一言のパワーは、「歴史」を変えるくらい
とにかくスゴイ!!
そこから僕は、超調子に乗りまくり、ロッキー・バルボア改め
マッキー・バルボアと自分を呼ぶようになったのである。
◆ 下 心
選抜された上級生の 「先輩」 の中に、僕を学校の裏に呼び
だした奴らの何人かがいた。
不思議な事に、選抜されてMさんとも親しい僕に、それ以降
メンチを切ってくることはなくなっていたのだ。
その代わり、やけに馴れ馴れしく僕に話しかけてくるようにな
ってきた。
別に嫌ではなかったのだが・・・
「牧野さぁ、なんでMとあんなに仲がいいんだ?
どうやったらよぉ、あんな感じで話せんだよ??」
なるほど、そーゆーことかい。
誰がMさんを、おめーみてーなチャラ男と親しくさせるもんか!!
男ってもんは、好きな女を守るときには、本領ってヤツを発揮
するものなんだ、と、何かのマンガで読んだ台詞を思いだした。
「Mさんてさ、ダウンタウン・ブギウギバンドの
宇崎竜童タイプが好きみたいっスよ」 と僕
実際は、フォークソングのかぐや姫のファンだった。
「オレは姫を守った!!」
とゆーよーな感じだった。
まあ、確かに、「嘘は良くない」。
しかし、その時は、、、
「へっ、ザけんじゃねえよ」
で一蹴できてしまった。
◆中学1年 性
Mさんとは種目は違ったが、アップと基礎練習は、全員が同じ
メニューで行うのが通常だった。
ストレッチのパートナーがたまたまいなかった日に、女子では
あったが、Mさんが僕のパートナーをやってくれた。
滅多にないことである。
「よろしくね!!」
とほほ笑むMさんの笑顔は、この世のものではない感じだった。
「うぃっス…」 ど緊張の牧野。
その理由は、単純明快だ。
そう、ストレッチはお互いの身体に触れるからだ。
いくら親しくしていたって、身体に触れることなどなかったので
ストレッチは強烈なスキンシップだ。
僕は、休んでくれたパートナーと、ストレッチに心から感謝した。
背中を押してくれたとき、「案外柔らかいじゃん」 と言いながら
ふざけて、カラダ全体で押してきたMさんの、胸の感触の方が
柔らかく・・・
思春期真っ盛りの僕は、言葉も返せず、、、
ただただ、いい香りがするMさんを感じて、鼻血が吹き出して
きそうな状態をこらえていたことは、まぎれもない事実だった。
僕がMさんの身体を押す番のときは、心臓を誰かに鷲づかみ
にされているよーなバクバク感だった。
カラダを押すために手のひらを背中に当てると、Mさんは小さく
て、とても華奢(きゃしゃ)な感じがして、なぜか興奮して、口から
心臓が飛び出てきそうだったことを覚えてる。
まあ、その日の練習は練習にならず、夜から明け方にかけて
思春期少年の「性」は熱く燃え上がっていった。
部活ってなんて素晴らしいんだ・・・
しかしながら、、、
不純のかたまりのような事ばかりではなく、やはり記録更新に
向けての戦いもあった。
走り幅とび(ロング・ジャンプ)を練習していた僕は、6mを目標に
練習していた。
しかし、そう簡単に6mは超えられない。
スポーツテストの幅跳びと違って、助走の距離や、加速の仕方
タイミングの合わせ方からフォームまで、かなり本格的なものに
なる。
後で聞いた話だが、先生は2年から3年で結果を残してくれれば
いい的な考えで1年生を選んだらしい。
どっこい、それでは僕のプライドが許さない。
絶対に結果を出して、「新聞に載る」と宣言までした。
特に、宣言した相手がMさんだっただけに真剣だ。
まあ、その年は結果などでるわけでもなく、散々だったのだが・・・
後の結果はさておいて、その夏の陸上練習は燃えた。
本業のバレーボールの練習の10倍はやった。
家に帰っても筋トレを続けた。
とにかく、バカみたいにやった。
◆「牧野くん、ちょっといいかな・・・」
あと数日で、夏の練習が終わるというある日、、、
僕はMさんに呼び出された。
その時、普段の明るくかわいいMさんの雰囲気がなかった。
中学校から少しだけ離れた山の上に、神社があったのだが
そこに呼び出されたのである。
練習のあとだったので、なぜか僕は普段以上に顔を入念に洗い
バカだなと思ったけれど、ロッテのグリーンガムを買って、3枚を
まとめて口に入れてよく噛んだ。
何を期待していたのか・・・
すでに気づかれたと思う。
「ゴメンネ、牧野くん呼び出しちゃって…」 とMさん
「全然いいっスよ、それよりどーしたんっスか?」
「うん・・・」 とMさん
この時点では、期待の方が上回っていて、心臓の音がMさんに
聞こえるんじゃないかと本気で心配していた。
「あのね、実は好きな人がいるの…」
「(来た…)」 と心で叫ぶ僕
「私の気持ちをどう伝えていいかわからないのよね」
「あっ、そ、そーだったんだ…」 とまだ半分期待の僕
「サッカー部のAくん知ってるでしょ!?」
「(ほえっ??)」
「Aくん、サッカーの強いH高に行くみたいだから
なんとかその前に自分の気持ちを伝えたかったんだ」
「あっ、あぁ~、そーだったんだ・・・」 と僕
虹を見つけて喜んで、虹のふもとまで笑顔で駆け寄ったときに
急に誰かに呼ばれて 振り返ったら、飛んで来ていた鉄の砲丸
が顔面に直撃したような衝撃だった。
動揺を隠そうとポケットに手を突っ込んだ。
残りのグリーンガムが手に当たり、思わず泣きそうになった。
でも、必死でこらえた。
「男子で相談できる人っていなかったんで
ついつい牧野くんに頼っちゃった、ゴメンネ」
「いいっスよ、俺も好きな人できたときには
Mさんに相談するからさ・・・」
「もちろんよ、絶対に言ってきてね」 とMさん
時間にしてどのくらいだったのだろう、、、
正直、何をしゃべったのか、今もってよく思いだせない。
ただ、日が暮れかかった帰り道を自転車があるにも拘わらず
乗らずに押して帰ったのだけは覚えている。
◆That's all
そんな感じで中学1年生の夏は終わった。
そのあと迎えた秋の陸上大会に出場したときには、僕は13才
になっていた。
そして、その半年後、Mさんたち3年生は卒業していった。
また、それ以降、彼女には一度も個人的に会えなかったので
約束した、「好きな人の相談」はできなかった・・・
時は流れ・・・
それから、さらに2年後、、、
僕は、中学校時代の様々な思いを胸に、県営草薙陸上競技場
の第5レーンで、中体連静岡県大会100mハードル決勝を迎え
ていた。
~完~
PS
中学時の夏の思い出は、「部活」一色だったけど、2年生編も
3年生編も、ある意味バラエティーに富んだものでした。
続く高校時代の超試練編は、涙、涙の物語です。
大学時代の体育会編は、ちょっと内容が強烈すぎて書けません。
ただ、過ぎてみれば全ていい時代で、いい経験だったんですね・・・
Posted by Evolution Mind at 14:46│Comments(4)
│つぶやき
この記事へのコメント
可愛い時代ですよね^^v
私もそんなときあったなぁ^^;
ボール投げスゴイですねq^^p
私は、どんなに頑張っても5mでした^^;
私もそんなときあったなぁ^^;
ボール投げスゴイですねq^^p
私は、どんなに頑張っても5mでした^^;
Posted by たみぞう at 2011年05月15日 09:08
たみぞうさん、5m・・・niceです(^^)v
時々、自分の今のトラウマの原因を探す
ために、心のなかの一番見たくない過去に
触れに行くことがあります。
この文章は、そんな心のなかの旅をしている
ときに書いたものです。
ただ、よく考えるとヘンな小僧でした(?_?)
時々、自分の今のトラウマの原因を探す
ために、心のなかの一番見たくない過去に
触れに行くことがあります。
この文章は、そんな心のなかの旅をしている
ときに書いたものです。
ただ、よく考えるとヘンな小僧でした(?_?)
Posted by Evolution Mind
at 2011年05月15日 10:51

牧野少年の奮闘記に読み入ってしまいましたよぉ〜!携帯小説みたいで
面白かったです(^O^)v
ちなみに私も小学校の時、陸上やってましたよー!!短距離専門ですけどねっ
面白かったです(^O^)v
ちなみに私も小学校の時、陸上やってましたよー!!短距離専門ですけどねっ
Posted by erica at 2011年05月16日 00:54
ericaさん、楽しんでいただけましたか?
本当にしょーもない小僧でしたが・・・
そのまま大きくなり、歳をとってしまいました\(~o~)/
ちなみに、小学校の6年生から高校生まで
体育大会ではずっと応援団長をやってました。
人の応援が好きなのは、昔からだったのかも
しれません。
私も短距離と、跳躍専門でしたが・・・
今は、朝夕のジョギング族と化しています。
本当にしょーもない小僧でしたが・・・
そのまま大きくなり、歳をとってしまいました\(~o~)/
ちなみに、小学校の6年生から高校生まで
体育大会ではずっと応援団長をやってました。
人の応援が好きなのは、昔からだったのかも
しれません。
私も短距離と、跳躍専門でしたが・・・
今は、朝夕のジョギング族と化しています。
Posted by Evolution Mind
at 2011年05月16日 06:31
